エンディングを見るために攻略するゲームとそうでないゲーム

ファミコン初期のゲームは、エンディングという概念がないものが多かったです。最後まで行ったら最初にループしたり、エンディングと言えるようなものもないままそのまま終了してタイトルに戻ったり。よく覚えていませんが、あの頃は最後までクリアすることをそれほど意識せずに遊んでいたと思います(というか、例えばマリオブラザーズで255面だか256面だかまで行くとループするということすら知らなかったはず)。

そのうち使える容量が増えていくとゲームにストーリーが盛り込まれるようになり、最後まで攻略してエンディングを見れば一通り終わり、という形式が当たり前になりました。逆に言えば、プレイヤーはエンディングを見るためにゲームを遊ぶわけです。しかし、この方式には気が向いたときに適当に遊ぶのが難しいという欠点があります。例えばある日突然「キングダムハーツ」をちょっとやりたくなったとします。でも、どこかのボスと戦いたいと思ったら最初から初めてそこまでストーリーを進めなくてはなりません。ちょっと遊びたいだけなのに、そんな面倒なことはしていられません。そういうわけで、「ちょっと遊びたい」というときにこういう重厚長大なゲームを起動する気にはなりづらいです。

一方、最初に書いたようなエンディングを見ることを前提としないゲームであれば、いつでも気軽に始めて気軽にやめられます。例えばテトリス。ちょっとした時間でも気軽に楽しめます。単に1プレイの単位時間が短いというだけでなく、電源を入り切りする心理的負担が小さい、というのがけっこう重要かも。

忙しい現代人には、気軽に始めて気軽に止められるゲームが求められているんじゃないかなと思いました。DSで久しぶりにゲームに触れた人がたくさんいるというのもそういう理由もあるのではないでしょうか。